どうも、無職ブロガーのトウゴです。
あなたは、他人の不幸を見聞きしたとき、心の中で喜んでしまいますか?
善人ぶるつもりもないですけど、僕はそんな風に思わないんですよ。
不幸を喜ぶなんて良くない、と言った道徳的な考えというより、そんな風に思っても楽しくない、って感覚ですかね。
今回は、他人の不幸について僕が思うことを書きました。
不幸に味を感じたことはない
先に書いたように、僕は他人の不幸を喜んだりしません。
楽しくないって、どういう意味か?
なんだろう、不幸を喜ぶって人間の感情でいえば暗いものだと思うんですよ。
そんなダークな感情を持っても楽しい気分になれない、って意味での楽しくないかなと。
あと、楽しくないしクールじゃないよなぁ、とも思っている部分もあります。
他人の不幸をネットで喜ぶ人もいますが、冗談にせよ、本気にせよ、どことなく怖いと感じてしまうんですよね。
だって、普通の人が「ざまあ」みたいなことを発信してるんですよ?マジか・・と、思ってしまう僕が変なのか、密の味を感じていないせいなのかもしれません。
不幸から何を考えるか
他人の不幸をどう感じるにしても、自分に置き換えて考えてみるのはどうでしょうか。
例えば、飲酒運転のニュースなら、どう気を付ければ同じ過ちをせずに済むのかを。
僕やあなたがほんの少し思いを巡らせるだけで、将来の不幸を一つ減らせるかもしれません。
改めて言わなくても、世の中では多くの教訓が活かされいますね。飲酒運転の厳罰化、耐震基準の見直しなど。
ネットで思ったこと
ツイッターで道義的に好ましくないつぶやきをして、炎上なんて話は珍しくありません。
名前や顔を出しているかに関わらず、人権や法律に抵触しなければ自由に発信していいのかなと思います。
とは言っても、進んで炎上したい人は少数。炎上芸に昇華させている人以外はデメリットしかないでしょうね。
そんな炎上リスクを避けるためもあってか、裏アカと呼ばれる別のアカウントで好きに発言する人もいます。
ほどほどに楽しむのであれば、良いガス抜きになるのでしょうけど、表とのバランスがおかしくなると精神的な影響も出てくるのかなと思ってしまいました。
表で全く他人の不幸を嘲笑ったりしていない人が、裏では正反対の話をしている。考えただけで疲れてしまいそうです。
まとめ:やっぱり味はわからない
他人の不幸について書いてみましたが、やはり僕には密の味ってやつがわからないみたいです。それを確認できた記事になりました。
楽しくないからというスタンスも変わらないでしょうね。
ただ、ウンコ踏んだみたいな話なら笑うと思いますよ(笑)